大学で交換留学(スリランカ)してみた

  スリランカに行って自身をつけたかった大学時代

 大学2年の9月、大学の交換留学制度を利用して 交換留学生として
スリランカに約1年間 スリランカの大学に交換留学生として行くことになった。

 大学に行きたい思いはありつつも、国公立のみ限定で進学の道があり、国立大学を受け続けていた。なぜか、数学はいくら勉強してもわからなかった。世界史なんて、教科書を見て勉強しようとしたら、まったく頭に字が入らず、すぐに寝てしまった。自分が高校生時代はまだ、インターネットという世界はなかった。歴史や数学など勉強の方法がよくわからなかった。

 結局、浪人生活を経て、大学に進学したものの、とてもコンプレックスを抱えていた。何か、他の人より自分に自信が持てることがないか?と思い、自己資金もないので、大学の交換留学制度を活用して、海外経験を積んで、自信をつけたい と思い、交換留学生としてスリランカでの学生生活が始まった。

スリランカはなにが 有名かなあ?

セイロン ていう紅茶だね

  スリランカの大学寮生活で寮生活がはじまる

 大学の学生はスリランカの学生がほとんどであった。スリランカの全土からあつまり、寮生活を送っていた。自分も寮に入った。2人部屋で、部屋のパートナーは歯科学生であった。おっとりされていた人で、優しかったが、生活の時間帯があまり会わず、仲良くなることはできなかった。

 お昼は大学の学食であった。それはごはんとカレー味の肉や野菜がバナナの葉で包まれたお弁当のようなものであった。


 日本食は辛くないのでスリランカカレーの辛さとスパイシーな香料はとても刺激的で最初の1週間消化できなかくておなかの調子は悪かった。
 2週間ほどで胃腸が慣れてきて食べてもお腹は大丈夫であった。飲み水は500mlくらいの水を食事中に飲んだ。最初は水ものどに通らなかったが少しずつ飲めるようになった。

  スリランカの女子学生の抱えていること

 大学生ということもあって、大学生同士、男女交際はしているのは見かけた。女性は結婚するまでは、一線を越えてはいけない。もし、越えてしまい、別れてしまった場合、結婚すること自体が難しくなる。カップルの中にはいとこ同士もいて、確実に結婚する約束をして付き合っている人もいた。

カースト制度という以前からある身分制度が受け継がれていた。大学の友達の何人かははいろいろ結婚相手の話が来るが、身分が違ってお断りした。

 

  スリランカで知り合ったお坊さん

 

 ほとんどが仏教徒であった。ほとんどの人は信仰心はとても深い。あるお坊さんと偶然出会った。お坊さんを知ることができた。信者からとても崇拝されているお坊さんであるが、やはり人間であることに変わりはない。

 そのお坊さんの友人はかつてお坊さんであったが、好きになった女性がいて、お坊さんをやめた。今は一般の生活を送っている。

 ストレスとかもたまるらしく、旅行に出かけたりもしてリフレッシュしていた。タバコとかもすったりしていた。

  スリランカのトイレの事情とは

 お尻をふくのではなく、桶に水をすくって、その水でお尻を左手を使って洗う。画期的な水洗トイレである。

 水栓トイレの場合、上に水のタンクがあって、垂れ下がった鎖を下にひっぱると一機に水が流れた。

水洗トイレだ

  スリランカの休憩はティータイムでほっとする

 イギリスの生活習慣の影響からか、休憩時間はクッキーと甘い紅茶をのむ。とても甘いと思ったが、熱く甘い紅茶を飲むとほっとした。それが習慣化して、甘い紅茶ばかりお茶を飲むようにがぶがぶ飲んでいた。

 気づいたら、おしっこがとても甘い匂いがするようになってしまい、これは飲む量を考えないといけないと思った。

  民族間争いは以前続いていた

 スリランカでは主にシンハラ民族とタミール民族が共存している。

 大学生や大学の教授にもシンハラ人、タミール人がいたが、弟を民族紛争で亡くした同級生もいた。

 また、在籍中、とてもやさしくしてくださった教授はタミール人であったが、オーストラリアに移住された。大学生のタミール人の家族もアメリカに移住したりしていた。

 民族間の問題はとても奥深く難しい。

 また、少数のモスリム人もいて、白い帽子をかぶり宗教がイスラム教を信仰し、生活習慣も異なっているように見えた。